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四人の子育て真っ只中に娘の一言で方向転換。パートナートラック→母親業→起業家へ!

8/12/2015

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シリーズ三回目は、アリサ・ラモント。
中西部の名門校、カールトン・カレッジを卒業後、大手コンサルティング会社、アクセンチュアでコンサルタントとして高い評価を得ながら、長男の出産に合わせて退職。長男12歳の時に、コロンビア大学でファンドレイジング・マネジメントの修士号を習得。その後、ファンドレイジングのコンサルティング会社を立ち上げる。

15歳の長男、13歳長女、10歳次女、6歳次男の4人の子供の母親。アメリカ人の父親とタイ人の母親をもち、人当たりが柔らかく周囲を安心させる雰囲気を持つ。

アメリカで生まれながらアジア文化の影響を強く受けて育ったアリサのワークライフバランス・ストーリー。


ー 出産前の仕事と、その仕事を辞めた理由について聞かせて下さい。

コンサルティング会社、アクセンチュア(Accenture)に6年勤め、長男を妊娠した時はマネージャーで、パートナートラック(パートナーに昇格する過程)にいました。J.P.モルガンやUPSのようなグローバル企業がクライアントでした。

6ヶ月間の有給育児休暇の間に、仕事復帰を念頭において保育園を見学に行き、ベビーシッターの面接などしていました。
ある日、自宅近くの保育園に見学に行って預けられている子供達を見ていた時、「掛け替えのないこの時期を人に託したくない」、という想いが沸々と湧き出てきました。育児休暇が明けた後、二年間は会社に籍がありましたが、二年後に正式にアクセンチュアを退職しました。自分の意志で出した答えとは言え、正式退職した後の最初の一年は複雑な心境でした。いわゆる、『やりがいがある仕事』だったし、キャリアウーマンとしての自分は手放した気がしたのです。

ー あなたは置かれた環境の中で120%で臨むことを信条とされていているとのこと。では120%の子育てとは、あなたにとって何でしょうか?

私の母はタイ人です。母はタイ流に、穏やかで、情の厚い大人に育つよう私達4人の兄弟を育て、私も自分の子供達をそう育てたい、という想いがありました。
それと、私はアメリカの中西部*出身ですが、中西部の人達は、控えめで地に足がついている感があります。子供達にはそういう地に足を付けた人になってもらいたい、と思っていました。*中西部の代表的な都市はシカゴやミネアポリスなど。
そういう想いから、子供達をシッターに任すのではなく、赤ちゃんの時はテレビやビデオは見せず、読み聞かせや歌を唱ったり、ミュージックトギャザー(Music Together)のような親子参加クラスをとったり、母と子の直接の触れ合いを大切にしました。長男が二歳の時に長女が産まれ、その3年後に次女も産まれ、自然に120%で子育てに臨むことになりましたけれど(笑)。
ー お母さまからタイ文化の影響を強く受けたようですね。

母は、父と出会い、35歳の時にアメリカに来ました。二人とも大学の教授で、新居を構えたのは、ミネソタ州の小さな町でした。その頃、その町でアジア人は私達家族しかいない、と言って良いほど白人がマジョリティでした。私の外見はあまりアジア人っぽくないのですが、弟二人はアジア人が強く出ています。そのせいで弟二人はいじめに合いましたし、母の英語の発音をからかう人達もいました。

母は、家族の絆を強くすること、そして家庭内でタイ文化を守るために、タイにいる家族のように私達を育てました。変な話、私はタイに住むタイ人より伝統的なタイ人かもしれないですね(笑)。でも思春期は自分のアイデンティティについて悩みましたよ。私はアメリカで産まれている。でも見た目はアジア人、自分もアジア人だと思っている。大学でアジア人学生グループに入ったりと、色々模索しました。

ティーンエージャーだったある夏、ボストンに住む叔父のところに滞在した時に、スカウトされて短期間モデルの仕事をしたことがありました。その時に「自分の存在は、ユニークなのかもしれない」って思えました。外見からですが、それがきっかけになって、次第に楽になって行きました。
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ー 2008年にコロンビア大学の修士号課程を始められました。専攻はMS(Master of Science)のファンドレイジング・マネジメント、と、出産前のコンサルタントとは職種が違いますね。

アクセンチュアに勤める前に、母校の大学でファンドレイジングキャンペーンの開発を担当していました。私の仕事振りが大学の理事に認められ、そして私がアジア系アメリカ人でアジア文化の理解があることから、タイや日本マーケットの寄付金ドナーの開発も担当しました。その時の経験が、大学院の専攻を選ぶ時の大きなきっかけになりました。

今、自分のコンサルティング会社(Bamboo Fundraising Consultants)で、NPOの戦略的成長のお手伝いをしています。自分にはこの仕事が天職だと思っていて、クライアントのプロジェクトに関わる度に、充実感のある喜びを得ています。

ー 大学院に戻って勉強し直そう、と思った動機は何ですか?

長女が6歳の時に、「私の将来の夢は、母親になること」と言ったのです。自分の娘達には、母親業の枠を超えて、向上心、探究心を持ち、どんな環境でも自分の道を開拓する大人になってもらいたい。であれば、自分がその姿を子供達に見せたい、と思ったのです。

次女が幼稚園の時に大学院を始めたのですが、すぐに次男が産まれたので、修士号習得に4年かかりました。

ー 子供を持ってから後悔していることを一つ挙げるとしたら何でしょう。

私は、子供の頃バイオリンを習っていたのですが、練習が嫌で仕方なかった。でも親は辞めさせてくれず、20年間続けました。でも20年間続けたおかげで、地元のオーケストラや、教会のチャンバーで演奏する機会を得るまでになりました。達成感も生まれたし、一生のスキルになりました。

子供達には色々な習い事をさせましたが長続きしません。私は、嫌いなことを強制的にさせられることがどれほど嫌か理解しているので、自分の子供達に無理強いしませんでした。でも嫌いなことも持続すればスキルになる、ということを子供達に教えればよかったと感じています。

ー 日本では、母親が定時にオフィスを出ることを不公平と感じる社員がいると聞きます。それに対して何かアドバイスはありますか?

経験がないことに理解を求めるのは難しい、というのが実情だと思います。

私がアクセンチュアにいる頃、四歳と二歳の子供がいる同僚がいました。定時で退社する彼女に対し、毎晩残業している他の同僚達は、不公平感を持っていたし、彼女のゴシップ話をする人もいました。

でも自分が母親になって判りました。オフィスにいないから仕事をしてないのではなく、自宅に着いた時点で、母親という仕事が加わるのです。子供に夕食をあたえ、お風呂に入れて、寝かしつける。その間にオフィスの仕事のメールをチェックし対応する。彼女は真摯に一生懸命、帰宅してからもくつろぐ間もなく働いていたのです。
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ー 母親になって、一番の難しさは何でしょう?

子供の成長において、どの時期も違った難しさがある、ということでしょうか。私の場合、4人いますので、授乳とおむつ替えの日々が暫く続きましたが、その間でも、一人ずつが成長していく段階で、新たなチャレンジに遭遇します。私は、自分の子供が一番手強いクライアントだと思っているんです。子供を育てることで、親はもの凄く成長させられる。そしてたくましく生きる力も与えてくれます。

ー 4人の子供の母親、起業家、そして一家の稼ぎ頭として多忙な毎日を乗り切るモットーを教えてください。

「This too shall pass—良い時も、悪い時もいずれは過ぎ去る」、ペルシアの詩に由来するということわざです。何事にも永遠はないことを受け入れて、良い時はそれに甘えず、悪い時は、いずれ終わることを信じて押し進む。自分がいる瞬間を精一杯生きる、ということだと思います。    

次回のインタビューは9月10日に掲載します。
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