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パートナー昇格を辞退。それはワークライフバランスのためにとったリスク。

12/10/2015

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イボンヌ・ブラウン
 
労働問題専門弁護士。
 
カリフォルニア大学バークレー校卒業後、NYUロー・スクールを卒業。ニューヨーク州弁護士。
 
アルゼンチン人の両親を持ちサンフランシスコ郊外で育つ。
10歳から4年間を、父親の仕事の赴任先、ブラジルで過ごす。英語の他に、スペイン語、ポルトガル語、フランス語を話す。


​
ロー・ファーム(弁護士事務所)勤務の弁護士は長時間労働が求められる。残業はもちろん、週末勤務も多く、休暇中もクライアントや上司からの連絡に応じることは暗黙の了解。
弁護士の仕事が天職、としながらも、出産後、子供との時間をとる選択をしようとしたイボンヌがぶち当たったワークライフバランスの壁。そして下した決断とは。
 
ブルックリンの趣きのあるブラウンストーン*に、12歳の長男、9歳の長女、ご主人と四人で暮らす。          
*ブラウンストーンーNYを舞台にした映画などに登場する縦長タウンハウスの呼称

— 子供を産む決意をした理由を教えてください。
 
2001年の同時多発テロがきっかけでした。
予期せぬことに命が瞬間に奪われてしまうことを目の当たりにました。もし主人に何か起こったら、私は彼を失ってしまう…。それは、それまで考えたこともない生命への問いでした。私は彼を次世代にも残したい、と思ったのです。
 
— それ以前は子供を持ちたくなかった、ということですか。
 
はい。主人は子供を欲しがったけれども、私が仕事を犠牲にしたくないことを理解してくれていました。
なぜ、仕事を続けキャリアを積むことが私にとってそれほど大切だったのか…。私が子供の頃、母が鬱になりました。 エンジニアだった父は「妻が働くと夫の体裁が悪い」と考える昔の人で、母は仕事を続けたかったのに辞めざるを得なかった。母の鬱は、仕事を辞めたことが原因だと私は思っています。
 
− 出産前は弁護士として長時間労働をされていました。2003年出産後、仕事はどうされましたか。
 
3ヶ月の育児休暇(有給8週間)の直後、週4日勤務をしていましたが、子供が一歳の時に、ファームからパートナー昇格へのオファーがありました。昇格には週4日は許されず、私はオファーを断りました。それをきっかけに、パートナー達との関係がぎくしゃくしていきました。

主人との関係も雲行きが怪しくなっていました。
出産後、息子を託児所に預けていたのですが、同じく弁護士の主人と、毎日、どちらが息子を6時に迎えいくかで口論をするようになったのです。彼の専門は比較的時間に融通がきくので、彼に子供を迎えに行ってほしかったのですが、時間に融通は効けども帰って仕事を続けるなど仕事の量には変化ありません。主人は、私が5:30にオフィスを出ないのは、仕事のそのものよりも、オフィス内で軋轢を生むのを避けるためにオフィスに残っているのではないか、と問いたのです。彼の言う通りでした。
 
結局、私はそのファームを辞めたのですが、退職を決意した一番の理由は、子供を持つ前に、その時の女性パートナー達から、パートナーを選んだことへの葛藤を聞いていたことです。

彼女達はパートナーを選んだことで、家庭/子育てを犠牲にしたと認めていました。そのうちの一人は私に、「パートナーには絶対ならない方がいい」と話してくれました。彼女の息子が思春期の時に色々問題があり、同僚の女性パートナーに「息子のために暫く自宅で働いてもいいだろうか」と聞いたところ、返事は「ノー」だったそうです。それでも彼女は辞めなかった。彼女は、「不明瞭な権力の行使」に対し不満を言うだけでした。
 
そのファームを辞めたことは、それまでの私の人生で最も辛いことと言っても過言ではありません。私は弁護士の仕事が自分の天職だと思っています。そしてそのファームで働くことが好きだったのです。
そのファームは、パートナー6人中3人が女性です。多くのファームでは、パートナーは圧倒的に男性が多いのですが、そのファームは女性に同等のチャンスがありました。もし私が彼らの望む選択を採っていたら、関係は悪化しなかったでしょう。皮肉にも私が仕事よりも家庭を選択したことを受け入れなかったのは女性パートナー達でした。

私はそのファームを辞めた時に、弁護士でいることを諦めなければいけない、と思いました。弁護士という仕事はパートタイムで働くことができない、と思っていたからです。
 
— 女性パートナー達は子供がいなかったのでしょうか。
 
三人とも子供はいましたよ。でも彼女達は自分を優先させたのです。長時間勤務や出張に支障を来さないような、住み込のオペアなどのチャイルドケア体制を整えていました。
 
— あなたもベビーシッターを雇って息子さんのピックアップをお願いすることもできましたよね。

 
まだ1歳にならない自分の子供を、そんなに長時間、そして週末も他人に預けたくありませんでした。
 
— つまり、どんな時でも仕事を優先することができないなら、パートナー昇格はない、ということですね。
 
ファームは、私が、パートナーを選択せず、辞めることを選んだ、としている。でも、私は、私が辞めざるを得ない選択しかファームは与えなかったと思っています。
 
— ファーム退職後についておしえてください。
 
趣味のフラワーアレンジメントがきっかけで、 友人の結婚式のお花を担当したら、ケータリング会社を通して紹介されるなど、フローリストとして数件、仕事をすることがありました。でも、好きにはなれませんでした。
​
そんな時に、以前勤めていたファームのパートナーから、クライアントのオフィスで労働専門弁護士を週に二日必要としている、という話がありました。他のファームでも週二日働ける弁護士を探している話もあり、パートタイム体制で弁護士が出来る環境を得たのです。
今はこのバランスには満足しています。でもそれをパーフェクトだとは言いません。
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— 今9歳のご長女は、ご長男が3歳半の時にアダプト(養子縁組)されたそうですね。
 
二番目の子は始めからアダプトするつもりでいました。
 
父が仕事でブラジルに赴任になり、私は10歳からの4年間をリオデジャネイロのアメリカンスクールに通いました。その時に貧困を知ることになりました。そこには沢山の子供達が道で暮らしていました。
アメリカンスクールは、地元の人達を隔てるように高い塀に囲まれていましたが、お昼の時間になると貧しい子供達が、塀を登って塀の上から、校内の生徒達にランチ乞いをするのです。
ブラジルでの経験は多感な年頃の私にとって大きな衝撃でした。

貧しい親達は子供達を養育できない。そして世界中でそういう環境に産まれる子供達の数は減らないのです。私は一人でもそういう環境で産まれて来る子供達に家庭の愛情と教育を受けて育ってもらいたいと思ったのです。
娘をアダプトした時、娘は生後三週間でした。
 
— ご自分にとって子育てとは何でしょう。 

人として成長させられている、ことです。
自分の鏡のように、自分の長所も短所も子供に映し出されます。自分を顧みながら、自分自身を変えていかなければ行けないことに気づかされる。大人との関係は、相手を通して自分を顧みることがそれほどないと思うのです。
子供達の目を通して世の中をみることは、新鮮で充実感があります。当り前だと思っていたことから喜びを見いだす。彼らの質問に応え説明しようとする時に、それまでと違った視点で事象を観ている自分に気がつきます。
 
− 子育てで一番大変だと感じるのはどんなことでしょう。
 
子供はコントロールできる相手でないことを認めることです。社会は、子供の態度、マナーを親がコントロールするよう求めて来る。それが躾、とでもいうように。でも子供に強要はできないのです。

私と主人は社交的でお友達からパーティやイベント、スポーツの誘いを多く受けます。自分達の子供に社交性があれば家族で行動ができます。でもそうでなければ家族の生活を調整する必要が生じます。

娘は内向的な子です。自宅の外で友達と遊ばないし、友達の家のお泊まり会にも行きません。かならず我家でか、長いこと知っている信頼する家庭以外はね。
家族でパーティに招かれれば、行った先で、初めの一時間は私と一緒に過ごし、彼女の不安が解消されるのを待ちます。その後も私の視界が届かないところには行かないのです。
彼女も、外交的な家で育っていることを理解し頑張っているのだと思っています。
 
− これまでの子育てでした選択で後悔していることは何でしょう。
 
長男の時と違い、アダプトは自分の身体に変化はありません。母乳で育てることもない。娘が1歳になる前に仕事の量を増やしました。その時は週5日働いていました。
でも今、彼女の不安を増長することになったのは、彼女が1歳になる前に、一緒に過ごす時間が少なかったからではないか、と後悔してしまうのです。

でも、彼女の不安の根源の察しはついています。
娘が4歳のある日、二人で手をつないで歩いていました。私達の目の前に初老の男性が現れ、私に「その子はあなたの子?」と質問してきました。私は「そうです」と答えたところ、「その子の母親は、お前にその子を譲ったのか?」と娘の目の前で言ったのです。
​
彼が去った後、私は、私と夫が娘を自分の子として育て、どれだけ愛しているかを言葉で伝えず、その場面をそのままにしてしまった。娘は4歳でした。その男性の言葉を理解したはずです。自分がアダプトされたことを気がついていた。それなのに、なぜ説明もせずそのままにしてしまったのか。。。

親として一番難しいと思うのは、難しい話を子供に話すタイミングの判断です。後で、「あの時に話していればよかった。小さすぎた、なんてことはなかったのに..」と後悔する。
 
娘が癇癪をおこすと、その癇癪は激しく、私の服にしがみつき、大声で叫ぶのです。
ソーシャルワーカーにも相談したところ、娘に話にくいことも話し、彼女と一緒にいる時間を増やし、ポジティブなアイデンティティを築ける環境を与え整えることが大切と助言を受けました。
​娘と一緒に家系図を作り、世界中にいる色々な人種や文化のことを話し、彼女の中の混乱を整理してあげる必要がありました。韓国人家族のキャンプに参加したり、韓国人の大学生に我家の一階に住んでもらって(タウンハウスの一階をアパートとして貸している)、日常的に韓国語を話し会話の中で文化や習慣も伝えてもらっています。今年の夏は家族で韓国に行ってきました。

Pictureブラジルのアート。ブラジルのダイバーシティを表現する。

— お話を伺っていると、決断を実行に移す力を感じます。思春期にブラジルから戻った後のお話をもう少し聞かせてください。 


私はサンフランシスコの郊外で育ちました。裕福な白人アメリカ人が住むエリアです。
通っていた高校の学生達は、ブランド品、高級車など、モノの価値観が中心で、ブラジルから帰って来た私は、その環境に対して拒否感を持ちました。そうですよね。ダイバーシティがあり、カジュアルで、どんな子供でも仲間になるインターナショナルな環境の中で、世の中の不平等を体験して帰って来たのですから。

サンフランシスコ郊外のその物欲的な環境から早く出たかったので、高校を3年で(米国の高校は4年間)卒業してしまいました。大学進学も特に計画を立てずに卒業してしまったので、地元のジュニアカレッジに入学し、その2年後UCバークレー校に編入しました。
 
— ロー・スクールに行く前にキャビンアテンダントをされたそうですね。
 
ブラジルに住んでいた時に、旅が好きになりました。自分の将来を決める前に世界中を旅したかったのですが、大学を出たばかりでお金がない。それなら、キャビンアテンデントであれば、お給料ももらえて旅行もできて一石二鳥です。お陰で世界中を観て来れました。その仕事をした2年間のうちのほとんどを、航空会社ベースのNYで過ごしました。
 
2年後にロー・スクールを受験しました。バークレーの時に精神学と法社会学の両方を専攻し、比較法学、国際法に強い興味を持ちました。
 
— 日本では、定時に帰る母親に対し不公平感を持つ同僚がいるそうです。サジェスチョンはありますか?
 
相手を批判したり決めつけたりしないことでしょうか。
私は、女性の選択が一つしかないと決めつけることは、フェミニストに反していると思います。
人は異なる選択をした相手を批判する傾向があると思います。例えば働く母親対専業主婦。働く母親と子供を持たない女性。人は自分の選択や決断を肯定したい。肯定する手段として同じ選択をしなかった相手を批判するのではないでしょうか。
子供がいない女性は、母親の仕事が大変なことは理解できない、経験していませんからね。でも彼女達にすれば、「子供を産むことはあなたが選択したこと。だから言い訳はできないでしょう」という見解になるのでしょうね。
 
主人の友人の弁護士で、出産後に週四日出勤、朝7時から午後3時勤務体制で暫く働いていた女性がいました。子供が学校から自宅に戻った後に一緒にいるためです。
その弁護士と子供が同い年の別の女性弁護士は、出産後も仕事を採りパートナーになりました。この二人は、お互いがとった選択の理解はできず、パートナーは、もう一人に、「もう子供が高校正だから、普通の勤務体制(長時間労働を意味する)に戻るべきだ」、と言ったそうです。
結局、主人の友人はそのファームを辞めました。娘さんが精神的に色々あった時期で、パートナーが希望するように長時間働くことは無理だと、辞める決断をしたのです。
 
— ワークライフバランスのキーは何でしょう。
 
リスクをとることだと思います。
長男出産後にファームを辞めることになったことが、人生において一番辛い決断だった理由は、私は、一度辞めてしまったら、弁護士の仕事に戻れないと思っていたからです。その「諦めなければいけない」感が、私はすごく怖かった。
私は、子供が小さいうちは子供といる時間も持ちながら、弁護士の仕事を続けるワークライフバランスの見本となる女性を知りませんでした。キャリアウーマンとしての見本となる女性達は周りにいますけれど…。つまりファームを辞める決断は私にとって「弁護士としてのキャリアか、キャリア自体を諦めるか」という決断だったのです。
でも結局は、弁護士の仕事は続けられた。その決断—リスクを取ったから、今のバランスがあると思います。そしてバランスが取れたのは、良い仕事をしてそれが評価されていたからだと思います。
 
ワークライフバランスをとった友人の話ですが、その彼女は、子供を出産した後に、ロー・ファームを辞めて大学で法律のクラスをひとクラス教えていました。そのひとクラスがきっかけになり、大学勤務8年を経て、弁護士としてハイプロファイル(メディア等から注目されること—政治関連のポジションも含む)の仕事に就いたのです。
ファーム時代の仕事が高く評価されていたこと、教師としても優秀だったこと。そしてパートタイムでありながらも、法律業界のネットワークはつないでいたから可能になったことです。

でも最近その仕事を辞めたそうです。私は彼女がその仕事を辞めたと聞いて、とても勇気のある決断だと思いました。次に何をするのか決まっていないのに辞めるというのは勇気がいることです。
 
そして、彼女が辞められたのも、ご主人の仕事の収入が高く安定していたからです。私も、今の勤務体制ができるのは、主人の仕事が安定しており、彼の仕事先から健康保険が出ているからです。もし、そうでなければ選択の余地はありませんでした。私は長時間勤務を優先せざるを得ない環境にいたことでしょう。
 
— 子育てが一段落したら、仕事に全身全霊を傾け長時間労働に戻りますか。
 
時々考えますね。でもロー・ファームのパートナーではないかもしれません。自治体や政府関係の弁護士になることは頭にあります。ただ子育てが一段落した頃、週40時間以上の仕事をしたいかというと、どうでしょうか。
今は判りません。その時の自分の環境、心境によって決めるでしょう。
​

(次回は、年末年始特別篇。アメリカの富裕層に蔓延する極度に過保護な子育てが及ぼす子供への様々な影響について、ニューヨークタイムスを初め、各有力メディアから高い評価を得た2015年の話題本、「How to Raise an Adult」ー ジュリー・リスコット—ヘイムス、をご紹介します。1月10日にポスティング予定です)

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