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与えられたチャンスを逃さなかった。女優からビジネスに転換しワークライフバランスが可能に!

11/10/2015

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シリーズ六回目はアリサ・ド・フェリス。

テキサス大学オースティン校、インテリアデザイン/建築学科卒業。
3際から19歳までダンスを続けた影響でシアタープロダクションに興味を持ち女優を目指してNYに出る。
​イベントプランニングとパーティデコレーションに興味があったアリサは、女優を目指しながらNYパーティデザインの第一人者、ロバート・イザベル事務所で働く。
元来の好奇心とハードワークで、サイドビジネスで始めた仕事を次々と成功させるアリサ。

ブルックリンのパークスロープのロフト式アパートに、15歳の長女とご主人の三人で暮らす。

常に人に囲まれて仕事をしてきたアリサは鋭い洞察力を持ちながら、異なることへの理解が深い。

秋が深まるブルックリンで話してくれた、アリサのワークライフバランス・ストーリー。


 ー 出産前の仕事を教えてください。
 
 女優の仕事をしていた時にケータリングのビジネスを興しました。もともと料理が好きだったこともありますが、女優業はオーディションで不合格になるたびに挫折感が残り、精神的にあまり良くありません。料理はクリエイティブで人に喜んでもらえます。
クッキーのケータリングから始めてお客様からの高い評価を得て、メニューを手軽なオードブルや軽いディナーに広げ、ビジネスは成功しました。プロのキッチンを借り料理器具も調達しました。マンハッタンミッドタウンのセントバーツ教会での結婚式やワードルフ・アストリアホテルでのパーティなど、大きいパーティでは500人を対象にしたイベントも手がけました。全て口コミでクライアントは増えて行きました。ケータリングの成功に合わせ、女優業は辞めました。

 私は働くことが好きで、ケータリングの仕事をしながら、昼間は石油ガス投資事務所の弁護士の下でパートで一ヶ月働いた後、会社が上場した際にその弁護士のアシスタントセクタリーになりました。私は石油ガス業界に非常に興味があり、関わること全てを学んで行きました。弁護士の上司は、資格よりも個人の能力とセンスを重視する人で、私のビジネスセンスを見込み、「君ならもっと出来るから」と、様々な重要な仕事を任せてくれたのです。法文書の作成もしました。取引を起こすまではいかなかったものの、取引を実現化することはしましたよ。
​
 ケータリングビジネスを拡大することも考えました。でもケータリング業界は、株式公開産業ではないため、どのように利益をあげていくか、というサンプルとなる形態の提示をできず、ローンが組みづらい、など、ビジネス拡大の限界を感じるようになっていました。
 
 出産後に働ける仕事を探している時、事務所で上司だった弁護士が別の石油ガス会社設立時にCEOとなり、「戦力として加わらないか」、と声をかけてくれました。丁度ケータリングビジネスの拡大について迷っていた時期だったので、お引き受けしようと思い、チャイルドケア代を考慮しての要求金額をこちらから提示したのですが、折り合いがつきませんでした。

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 ー ケータリングも成功させ、ビジネスのポジションアップのオファーもあり、仕事で更なる飛躍する選択もあったと思います。お子さんを出産する決意をしたのはなぜでしょう。
 
 主人も私も、夫婦だけの『家族』でなく、子供のいるファミリーユニットにしたかったのです。不妊治療を長く続け、もう子供は持てないのでは、と気持ちが折れそうになった時に授かりました。35歳の時に出産しました。
 
 ー 出産後はどうされましたか。
 
 産まれたばかりの子供を預けてケータリングの仕事もしましたが、体力的にとてもきつく、出産後9ヶ月は自宅で育児に集中しました。実は、この九ヶ月間が自分にとって辛かった時期ですね。

 完璧な母親業をしたいと思っても子育ては自分にとっては初めてのこと。仕事が好きで13歳の時からアルバイトをしていた私にとっても未知の世界で、何から始めていいのか判らないことはストレスでした。主人が戻るまで、まだ話さない子供と二人だけの生活です。特に赤ちゃんの時は、授乳とおむつ替えの24時間/7日間体制で、仕事のように区切りのある達成感はありません。

 収入が必要だったので、月から金のフルタイムで働ける仕事を探していた時に、ケータリングの仕事を通して知り合った著名なカリグラファー(日本でいう書道家。装飾文字を手書きで書く専門家)、エレン・ウェルドン氏から、自分が立ち上げたカード会社を手伝って欲しいという話がきました。(余談ですが、エレンの母様は、ニューヨーク、デザインケーキの第一人者のシルビア・ウエインストック氏)。
エレン・ウェルドン・デザインでエレンの右腕となって15年。会社でビジネスサイドを担当しながら、クリエイティブインプットもしてきました。今はオンライン招待状が主流になってきたものの、企業や結婚式などの正式な招待状はきちんとした招待状を郵送で送るのがしきたりです。クライアントは大企業やハイプロフィール組織、ハイソサエティの個人などで、彼らのビジョンをデザインに表現したハイエンドでアーティステックな招待状を提供し、ビジネスは広がりました。
 
 ー 石油ガス会社からのオファーや、ケータリングの仕事が縁で就いた今のお仕事でも重要なポジションをされている。働いてきたそれぞれの仕事で成果を上げ信頼を得てこられたからだと思います。
​
 ー 仕事を始めてからチャイルドケアはどうされましたか。
 
 主人と私は、子供を託児所ではなく、学校に入れたかったので、一才半でも入れる国連近くにある保育園をみつけて入れました。そこには国連に勤務する家庭の子供達もいて、インターナショナルな環境でした。
その学校は週に二回だったので、フルタイムのベビーシッターを雇いました。トリニダード・ドバゴ出身の素晴らしいシッターでした。一年ほどして、課外クラスもある保育園を探し、その頃勤務地がトライベッカだったこともあり、ワシントン・マーケット・スクール(The Washington Market School)に通わせました。5歳からブルックリンのバークレー・キャロル・スクール(The Berkeley Carroll School)に入園しました。

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 ー このインタビューシリーズでは、あまりご主人のお仕事について伺わないのですが、ご主人と会った当初は、やはりご主人も演劇関係のお仕事でしたよね。
 
 主人は劇場プロダクションをしていました。そのプロダクションスキルを活かし、仕事先を演劇界からコーポレートへと転換させていったのです。ラスベガスで開催されるトレードショー、MTVアワード、ワールドカップ、スーパーボールのハーフタイムショー・プロダクションなども手がけました。今は、大手製薬会社でインターナル・コミュニケーションのプロデューサーを専門にしています。
 
 ー お二人とも演劇界からコーポレートに転身し成功されています。スキルとチャンスを活かし、柔軟なマインドセットと、どのステージでもフルのコミットメントをすることで可能性を広げている。このお話は読者にとっても勇気づけられることだと思います。
 
 ー ご自分にとって、子育てとは何でしょう。
 
 私が人生でしてきたことの中で一番有意義なことです。何の曇りもない、本来人間が持つ愛情で、自分ができるベストを他の人間にコミットするのです。自分ができなかったこと、したかったことをする機会を他の人間に与える。子供がそれをしたくなければもちろん強制はしません。美しい魂を育てることは天からの恩恵のようです。その魂が一人で旅立つまで、親はその船のキャプテンなのです。子供を育てることで見識は深まり、謙虚になります。
 
 ー 子育てでしてきた選択で後悔があるとすれば何でしょうか。
 
 子供が小さい頃に、もし3、4時に帰宅できるような理想的な仕事であれば、もっと一緒にいてあげたかったと思います。その時に教えられたことは沢山あったでしょう。
仕事は残業する日もあり、学校の課外クラス後、シッターにピックアップをしてもらうこともありました。パートタイムのシッターの中には、人は良くても、優しさと甘やかすことの線を引けなかった人がいました。フルタイムのシッターであれば、計画的に一日を過ごし、躾ができる人にお願いしたでしょうね。
 
 ー 子育てで一番難しいことは何ですか。
 
 自分が子供の頃にしてきた間違いを子供にしてほしくない。「こういう親になりたい」という像があります。それは自分の親の反面教師でもあります。でも自分が育った環境からくる習性で、「したくないし言いたくない」ことをしてしまいそうな衝動にかられる時もある。感情的になった時に、ふと言いたくない言葉が口から出てしまいそうになる。怒った時に感情的、直感的で話す言葉を選択しようとする自分を、越えた自分を持つこと。これがチャレンジですね。
 
 ー 日本では、定時で帰る母親と、そのことに不公平感を持つ女性の同僚との間でコンフリクトが生じているといいます。何かアドバイスはありますか。
 
 人生の皮肉とでもいうのか、経験がないことに理解を求めることは難しいでしょう。子供を持ってみて、「定時にかえって子供と一緒にいたい」「子供が熱をだしたらすぐ迎えに行きたい」と考える自分がいることを発見するのです。
女性の特性で、コンフリクトを減らすために解決策を欲しますが、理解できない相手に自分の見解を伝えようとしても、相手に経験がなければ伝わらないのです。定時で帰宅することはルール違反ではないのだから、子供のために帰宅することに後ろめたさを感じないことです。
母親の仕事は、家でも続くわけですが、子供がいないと、その大変さは判らない。でも、不公平と感じていた女性達が母親になった時に、やっと理解できるようになる。その繰り返しだと思うのです。
母親の中には、定時で帰る必要がない女性もいます。例えば私の上司のエレンが子育て真っ只中の時期は、ご主人が比較的時間に融通が効く仕事をしていました。私は、子供が学校で熱を出したら自分が迎えに行きたいですし、病院や歯医者も自分が連れて行きたいと思っています。エレンはご主人がその役を引き受けてくれたけれども、私の主人は出張が多いので私が会社を早退や遅刻して連れて行くことになります。母親同士でも子育ての環境が異なれば、勤務姿勢への理解も異なるのです。
 
 ー 責任あるお仕事と子育てで毎日ご多忙の中、モットーとしていることは何でしょう。
 
 モットー、というよりは、自分のゴールとして、娘にとってよいお手本でありたいと思っています。
母親は、愛情深く、娘のすることに興味を持ち、必要な時は傍らにいてあげながら、価値のある働く者として存在すること。私は仕事を信じています。独立した個人であり、金銭的に人に頼ることはしたくありません。家事もそうです。家事は誰からも評価されず、感情の持って行き場がない。それでも家事も精一杯する。「お母さん、よくやっているね」と娘の見本になるのが願いです。
​ (次回は12月10日に掲載します)

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